2019年3月

これまで僕は、幾つものことをおざなりにしてきた気もするし、たくさんの人を裏切ってきた気もする。

そんなセルフイメージの悪い部分のみ、いやそれこそ僕の全てだと一般化して捉え過ごしてきた。

それが妄想にもなる。他人からの評価はネガティブだと決めつけては、言葉のナイフで僕自身をぐさぐさと刺す。

流れるのは紅色ではなく、いつも透明で、しょっぱい。

 

味方なんていない、孤独な世界。

そう思ってたけど、そうじゃなかった。

例えば僕の良いところもくどくなく伝えてくれる鏡のような人だったり、例えば終わったような顔して動かない僕を見守ってくれる空のような人が、すぼめてた視界の外には何人も居ることを知った。

自分の意思で言葉のナイフを突き刺さなくても、透明でしょっぱいのは抑えても自然と溢れ出て、懐かしかった。

 

「喪失を抱えて、なお生きろ」

僕はこの言葉が好きだ。

生きることは得て失うことの連続で、特に悲しい痛いことは脳裏に焦げ付いてなかなか離れないけれど、それも含めて命なのであって、それは儚くて、美しいと思う。

絶対に一人ぼっちじゃないことも知ることができた。

今は、息を吐き切ったままの喉がまた空気を取り込もうと開き始めたような、そんな気分。

 

 

僕は今、僕自身を助けるために、いろんな制度などを利用して、崩れた積み木をひとつ、またひとつと積みだしてる段階です。

いつもながら、つまづかないペースでできることをやります。がんばります

 

そしていつか、日照りの続く夏に草木を濡らす雨露のような存在になりたいです。

ただ眩しさを覚えるほど自販機が照らしてた夜

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年男でもあり、本厄だった今年がもう終わろうとしている。

誕生日だったけど、パーティ!みたいなことはしなかった。

 

僕の事を忘れなかったみんなのSNSに、誕生日のお知らせが少しお邪魔させてもらってるのもなんか申し訳ない上嬉しいし、

メッセージまで貰って、いい一日になりました。

 

今日は仕事終わりに来てくれた家族と一緒にご飯に行った。

回るお寿司、普段は注文しないパフェまで食べた。ンマ

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「追いきのこってなんやねん」でめっちゃ笑った

家に帰ると、冷蔵庫にはクリスマスケーキがあった。

 

今の僕にとってこれ以上の幸せなんてない

たくさん高望みしてきたけど、そんなことよりも、隣にある出来事のほうがよっぽど大事なんだってことに気づいた。

当たり前かもしれないけれど、そんなことすら僕はおざなりにしてたんだ。

 

できない。って思うと、本当に何もできなくなる

これ最近気づいた事。

ネガティブな言葉を自身に暗示しまくるのはクッソ楽なんだけど、言葉ってのは案外脳みそに影響するみたい。浴びせた言葉通り、僕は僕をネガティブに染め上げていた。

だから少しずつ「集ならできる」「ミスってもいいじゃん」って自分を応援するようにしてみた。

例えば電話一本にしても、これまでは怖くて携帯を枕の下に埋めてたけど、

「大丈夫」って思いながら、ようやく通話ボタンを押せるようになった。

 

電話を切ったら「すげえじゃん」「えらいぞ〜〜」って、自分を褒めちぎる。

嬉しすぎてご褒美のコーラを買いに行っちゃうくらい。

めちゃくちゃ子どもっぽいやん?

でもそんぐらいしないと一歩踏み出すのブルってしまうんよ。

 

できることを、ちょっとずつ

SNSのタイムラインに流れるみんなはものすごくキラキラしてて、それはもうすっげー羨ましくて仕方ないんだけど、

いきなりジャンプしてみんなみたいになろうとしたら、また壊れちゃうから、

ダサくてもいい、焦らずじっくり生活してみようと思う。

ギャップで苦しくなるから、リア垢は時々おやすみしてます。

 

相談するってのは本当に難しいことだよね

少なからずプライドもあるし、責められちゃうのかなとか、自分でなんとかしなきゃなとも思う。

そうすると、決まって僕は一人ボロボロになってようやく誰かに助けを求める。

これはよくない。

って頭では分かっていても、なかなか実行できない。

まあこういう性格なのはしゃあないなって思ったりする。

都合よく誰かが時々僕の様子を伺ってくれないかな、なんて他人善がり。

相談する、そのためにまずコミュニケーションを増やす。

これは個人的な課題。

 

動かないと何も始まらない

この一年で痛感した。

外に出ないと移ろいゆく季節は不明瞭だし、働かないと対価は得られない。

正直、うつ病って言い訳は僕にとってジョーカーだ。

でもそのカードだけじゃ生きていけないことを知った。

 

そうそう、この前感動したことが一つ。

この前唐突に友だちと沖縄最北端の辺戸岬って所にドライブしたんだよね。

なにもない、ただ眩しさを覚えるほど自販機が照らしてた夜。

でも北の方角を向けば、うっすらと街の明かりが見えた。

それが鹿児島の与論島だと分かった時、僕が出たがっていた沖縄の外はたった22kmしか離れてないことを知って。

外に出る、友だちと会う、閉鎖空間で何時間も過ごす、

そんないくつもの難所を超えた先に、それを見れたことがなにより嬉しかった。

 

一歩歩けば景色が変わる、振り返れば轍が残る。

そうやって僕は、子どもっぽいかもしれないけど、いっこずつ人間つくっていこうと思います。

 

"We pray for our sorrows to end,

and hope that our hearts will blend.

Now I will step forward to realize this wish."

 

『すべての悲しみが消えるようにとか、

すべての心がつながるようにとか、

願うだけでは届かない想いを叶えるために

私は進もうと思います。』

キングダムハーツ2」より、カイリが名前を思い出せない男の子に宛てた手紙の一節。

この言葉に幾度となく救われました。

 

キングダムハーツ3は1月25日発売です(告知)

キングダム ハーツIII - PS4

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厄年を振り返る2018

あー

って思考停止してたけど、気づけばもう12月。

いろいろあったことを振り返る。

 

年明けは実家で過ごした。

家族にうつ状態のこと、大学を登校拒否していることを伝える。

みんな理解が追いつかないような顔してて、

そりゃそっか、おれだってわかんねえもん。って思った。

妹に連れられてメンタルクリニックに行ったのは、兄として恥ずかしかった。

しっかりしなきゃいけないのに、ごめんな。

 

4月に大学5年生になった。

見たくもない教授の顔。でもここで頑張らなきゃって思って、一生懸命やった。

奨学金は打ち切られてたから、毎日学校が終わると派遣の仕事をした。

うつは甘え、気のせいだって自分に言い聞かせる。

しんどかったけど、誰にも迷惑かけたくなくて、僕は普通になるために頑張った。

 

9月、大学中退。

結局、僕は普通になれなかった。

適応障害ってのはめんどくさいもので、大学に足を運ぼうとすると震えが止まらなかった。

「もうだめだ」そう思った瞬間、僕はまた家から出れなくなった。

ついでに勤めていた派遣先も辞めた。

 

しばらくして、僕は高卒として生きるんだって割り切って、別の派遣をした。

普通のサラリーマンみたいに、朝から夕方まで働く仕事。

でも4日で辞めた。

初日からパワハラ受けるとか聞いてない。

働くって怖い、僕にはできないってトラウマを自分で植えつけた。

 

無職になってからしばらくして、僕は人と会うようになる。

学生時代のバイト先や友人、新しい出会いもあった。

生身の人間と会話するのはめちゃくちゃ不安だったけど、そんなこと忘れさせるくらいみんな優しくて、嬉しかった。

不安定な僕だけど、これからもよろしくお願いします。

 

今は知り合いから紹介してもらったところで、少しだけ働いてる。

 

ギリギリ生活できる程度で、正直余裕がない。

とはいえ普通に働ける自信がない。

だからとりあえず今の生活でなんとかしようと思う。

 

うつ病になってから一年が経ったけど、特に変化はない。

当たり前のことはできないし、常に周りの人に迷惑掛けまくってる。

生きる理由は見つからないままだけど、死ぬ勇気も湧かないから、まあこのまま人生すっかって、そんな感じ。

止まない雨はないにしろ、さすがに一年降られちゃ萎えるわ。早く晴れないかな

 

振り返れば、本厄らしい一年を過ごしたと思う。

来年に期待なんかしてないけど、

病気が良くなって、ちゃんと社会人して、普通に生活できたら、それだけでいいや。

じゃあ努力すればいいって、そんな正論聞きたくない。

頑張るほど壊れる心のバランスを保つのは僕にとって難しい。

どうすればなるべく負担掛けずにまともな生活できるのか ってのを考えながら、今日もなんとなく生きる。

敗北も勝利も大嫌いなんだ

ツイッターのタイムラインにたまたま腕相撲の動画が流れて、そういえば腕相撲とか好きじゃなかったなあってのを思い出した。

 

小・中学生の男の子は勝負事がとにかく好きで、暇さえあれば力くらべをよくしてたんだと思うけど、僕は極力避けてた。

生まれつき身体が弱いってのもあるけど、なんで勝ったり負けたりして楽しいんだろうってすごく疑問だった。

小学校から始めたテニスも、強くなりたくて続けてなくて、ただ単に面白かったから。

試合よりもただ友だちとラリーしてるほうがずっと楽しかった。

 

こう平和主義的で、大学で福祉を専攻していると、やっぱそういうの違うよって思う人が居ることはわかってた。

どこの企業か忘れたけど、人事から「競争社会に入るならそういう思想じゃ勝てないよ」って言われたことがある。

差別化計んねえでレッドオーシャンに首突っ込んでる人に言われたくねえわ…って感じたのだけ覚えてる。

 

まあ優劣つけることが必須だってのは一理ある。

現に今こうして日本社会をdisってる僕は普通の生活すらできていないことが証明してくれている。

とはいえ勝っていく奴だけがオイシイしてるのはなんか腑に落ちない。

たぶん僕はこれからも勝負を避ける人間になってしまうと思うんだけど、もっと個を大事にしていきたい。勝負で満たされる人間にはなりたくない。

 

まあ全く勝負のない社会はそれはそれでつまんねえんだろうけど、その結果が絶対になってるのが面白くないっていうそれだけ。

 

今期アニメ『転生したらスライムだった件』のエンディング『Another colony』の一節をタイトルにしてみた。

www.lyrical-nonsense.com

このアニメもそうなんだけど、圧倒的な力を持ちつつも、それを振りかざすようなことはしないんだよね。

メリットを分かち合おうだとか、共存しようだとか、そういうところがすげえ面白い。

 

許しあうことの答えになる僕らは負けちゃいけない

って歌詞すげえいい。おわり

できない。

『セッちゃん』

僕の好きな漫画の一つ、セッちゃん。かわいい

全11話の短いストーリーなんだけど、これがすげえエモいんだわ。

周りに合わせる自分らしさだとか、こうあるべきみたいな理想論だとか、

そうゆうのがなんかどーでもよくなる。

 

全話無料だからから、ぜひ読んでみて。

cancam.jp

誰とでも寝る女の子なんて社会的にアウトだと思うかもしれない。

それでも今の僕にとって、そんな貫く生き方一つあることが羨ましいんだよね。

 

前よりも落ち込んでる。

目が覚めてから天井ばかり見つめて、気がつくと外はオレンジ色に染まっていたり、

好きだったゲームは家賃のために手放し、

メッセージ一つ送るのにすら気が乗らない。

まるでうつになった当時に戻ったような現状。

 

そんなできない自分が嫌いで、ブログという名の自傷行為を繰り返してる。

感情を発散するだけの文字列に中身があるはずもなく。

誰かに価値を提供したくても、そもそも僕に価値がないという結論にいつも至る。

読んだ人が悲しい気持ちになりませんように。なんて自分勝手な願い事をしながら、「公開する」ボタンにカーソルを合わせる。

それくらいしか、できない。

 

生産性

うつになってからこの言葉についてよく悩んでいる。

社会や誰かに還元することが生産性だとすれば、ちゃんと働けていない僕の生産性はゼロだ。

いつもしてもらったりの僕。口癖は「ごめんなさい」になった。

 

感性は瀕死だけど死んでない

良い作品に出会うと、すげえワクワクする。

僕的今季イチオシアニメは『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』

ao-buta.com

変な長いタイトルとは裏腹に、

先輩はかわいくてドキドキするし、テーマがくそ面白いし、思春期の心情を表すのがとにかくうまい。ザ・青春

「やべえ」って液晶に向かって独り言呟いてた。

 

見終わるごとに僕は泣いた。

「まだ泣けるんだ」って思って、また泣いた。

うつになると思考は鈍くなるし、感情はアホみたいにネガティブばっか湧いてくる。

脳みそをでっかいブヨブヨのゼリーで包まれたような感覚。

そんな状態でも僕はアニメに影響されて、嬉しくて涙した。

生かされてるんだなって思った。

 

生産性のない僕。だけど、まだ色んなことを感じることができる。

よかったー。

これがなかったら、もっと生きるのは大変だった。

 

僕の感性は僕にしかなくて、僕の好きがあなたも好きとは限らないけど、

聞いてくれるだけで嬉しくなる。

自分の好きなことを口に出すのって、恥ずかしくて笑っちゃうけど、なんかいいよね。

 

できないことが目に付く。

他の誰かや昔の自分と比べては、勝手に嫌な気持ちになる。

じゃあどうしたらいいのって、そりゃ働いて金でモチベ上げて好きなことに時間を遣えばいいそれだけなんだけど、

わかっててもできないことって、あるよね。

 

今の僕に誰かを支えることはできなくて、自立すらできてなくて、

むしろ支えてもらってばかりなんだけど、

こんな僕でも、例えばもし目の前に困ってる人がいたら、僕みたいに落ち込んでる人が居たら、

できないことを考える前に、できることをできるだけしよう。

それは生産性だとか自立だとか、そんなことよりももっと大事だと思う。

そのために僕は、日々アニメを観て感性磨いたり、眺めるだけの天井に人生を見出そうとしてるのかもしれない。

 

何も考えないで書いたから、こんな終わり方で締める。