2019年3月

これまで僕は、幾つものことをおざなりにしてきた気もするし、たくさんの人を裏切ってきた気もする。

そんなセルフイメージの悪い部分のみ、いやそれこそ僕の全てだと一般化して捉え過ごしてきた。

それが妄想にもなる。他人からの評価はネガティブだと決めつけては、言葉のナイフで僕自身をぐさぐさと刺す。

流れるのは紅色ではなく、いつも透明で、しょっぱい。

 

味方なんていない、孤独な世界。

そう思ってたけど、そうじゃなかった。

例えば僕の良いところもくどくなく伝えてくれる鏡のような人だったり、例えば終わったような顔して動かない僕を見守ってくれる空のような人が、すぼめてた視界の外には何人も居ることを知った。

自分の意思で言葉のナイフを突き刺さなくても、透明でしょっぱいのは抑えても自然と溢れ出て、懐かしかった。

 

「喪失を抱えて、なお生きろ」

僕はこの言葉が好きだ。

生きることは得て失うことの連続で、特に悲しい痛いことは脳裏に焦げ付いてなかなか離れないけれど、それも含めて命なのであって、それは儚くて、美しいと思う。

絶対に一人ぼっちじゃないことも知ることができた。

今は、息を吐き切ったままの喉がまた空気を取り込もうと開き始めたような、そんな気分。

 

 

僕は今、僕自身を助けるために、いろんな制度などを利用して、崩れた積み木をひとつ、またひとつと積みだしてる段階です。

いつもながら、つまづかないペースでできることをやります。がんばります

 

そしていつか、日照りの続く夏に草木を濡らす雨露のような存在になりたいです。