頭の良さと地頭は違うよ
「君、同年代と喋ってて、話通じないな~って思うことない?」
先輩にご馳走してもらった際、そう言われました。
わかる。
去年、就職活動しているとき、如実にそう感じた。
同じ視座に立てない、会話が成り立たないと思うことが多々ある。
その学生は、聞けば有名大…なんてことはよくあった。逆に偏差値40程度の大学に通ってると言えば、大抵の人は驚いた。
「頭は良くないけど、地頭はすげえ良いよね」
友だちからそんなことも言われた。
もちろん学歴のいい人は、比例して地頭も良い場合の方が多い。
でもそれは僕の所感でだいたい2割くらい。
学歴のいい残りの8割はといえば、「点数の取り方が上手い」人だけな気がする。
頭はいいが、地頭は鍛えられてない。
その地頭が良い人とそうでない人の違いは、僕にとってニュアンス的な、話してみなきゃ分からない的なものなんだけど。
先輩曰く、『そもそも論』ができるかできないかの違いらしい。
例えば与えられた課題に対して、能動的に黙々に解かんとする人がほとんどだけど、
まれに「その課題の本質はなんだろう」だとか、「その課題ズレてね?」とか、「課題をもっと因子分解してみよう」とか、
そういう『そもそも論』に気づく人が地頭の良い人な気がする。
これは育ってきた環境に左右されるかもしれないけど、ちゃんと自分の頭を使って考えたか。それだと思う。
もし『地頭を良くする!』なんて啓発本があって、それをしこたま読んだとしても、決して地頭は良くなはならない。あくまで自論だけど。
僕の場合は、子どもの頃に都会から田舎に引っ越したような負の感情や、自分で団体を起こしたようなきっかけが、僕の地頭を育ててくれた気がする。
この記事に結論はないけど、結局何が言いたいかというと。
これを例えば仕事に置き換えれば、仕事を貰うのか、それとも仕事を作るのかとか、そういう話になるんだと思う。
どちらが良いとかそういう話ではなく、単に役割が変わってくるよねってこと。
世界の緻密さ、人の繊細さに気づけることは、時に重荷にもなるけど、その美しさに感銘を受ける。
僕はもっと、そういう哲学や真理に近づきたい。